こんにちは、株式会社グリッドCEOの田中安人です。
「エンゲージメントサーベイを導入して3年。スコアは少しずつ改善している。でも、現場の一体感はむしろ薄れている気がする…」
「年間数百万円をかけてサーベイを実施しているのに、結局『結果を見て終わり』になっている…」
人事として組織と向き合う中で、こんな違和感を抱いたことはないでしょうか。
実は、サーベイを実施している企業の66%が、実際の施策実施にまで至っているのはわずか36%。そして効果を実感できているのは、たった13%という調査結果があるのです。 (PwCコンサルティング合同会社「エンプロイーエクスペリエンスサーベイ 2021-2022調査結果」より引用)
良かれと思って導入したサーベイが、いつの間にか組織の活力を奪い、社員の当事者意識を削いでいるとしたら、どうでしょうか。
本記事では、多くの企業が陥りがちな「サーベイの罠」を解き明かし、サーベイを「組織を分断する劇薬」から「一体感を醸成する羅針盤」へと変えるための処方箋をご紹介します。
第1章:サーベイの副作用、組織を蝕む3つの”病”
サーベイの運用を誤ると、組織は深刻な”病”に蝕まれていくことがあります。まずは、人事や経営層の皆様があまり気づいていない、サーベイ導入における副作用をご紹介します。
その1.偏差値至上主義|他社比較に満足し、自社のビジョンを見失う
「今期のエンゲージメントスコア、業界平均を上回りました!」 「前年比で3ポイント上昇。他社と比較しても上位30%に入っています」
こんな報告に、あなたは心から満足できるでしょうか。
最も陥りやすいのが、他社との相対的なスコア比較に満足し、「良い組織を作ること」ではなく、「サーベイで良い偏差値を取ること」が目的になってしまう現象です。
ここで考えてみていただきたいのです。牛丼チェーンの吉野家が、他の飲食業のエンゲージメントスコアを気にしているでしょうか?
答えは明確に「No」でしょう。
なぜなら、歴史も業態も事業戦略も違えば、必要な組織文化もまったく異なるからです。イタリアンレストランと比べて、居酒屋チェーンと比べて、高級寿司店と比べて、スコアが高い・低いと議論することに、一体どれほどの意味があるのでしょうか。
そもそも会社のビジョン、事業戦略、競争優位性の源泉が違うのに、横並びで比較して「うちはマシだ」と安心しているのは、あまり意味があるとは言えないでしょう。
本来、組織づくりとは、自社のビジョンを実現し、競争戦略を支えるために行われるものだと、私は考えます。
- 迅速な意思決定とスピード感を武器に戦うスタートアップ
- 高度な専門性とチームワークで勝負するコンサルティングファーム
- 地域密着と長期的な信頼関係を大切にする地方企業
- グローバル展開でスケールメリットを追求する製造業
それぞれに必要な組織文化は、まったく異なるはずです。「私たちの事業が勝つためには、どのような組織文化が必要か?」という戦略的な問いこそが、組織開発の起点となるべきでしょう。
しかし、他社比較の偏差値に満足し、業界平均との相対的なスコアばかりを追いかけていると、自社固有のビジョンや競争戦略から組織が切り離されてしまうかもしれません。
事業戦略との関連性が薄い一般的な設問のスコアを上げることに躍起になり、組織開発がただの自己満足に終わってしまうのです。
その2.対話の消滅|「スコア見ればいいや」が招くマネジメントの崩壊
第二の病は、サーベイと対話の「主従関係」が逆転してしまうことです。
本来、チームの状態を最もよく知るべきは現場のマネージャーです。日々のコミュニケーションや1on1を通じて、メンバーひとり一人のコンディションや人間関係の機微を把握する。これがマネジメントの本質であり、理想形と言えるでしょう。
正直に言えば、マネージャーが完璧に対話でき、メンバーとの信頼関係を構築できていれば、サーベイなど必要ないとさえ私は思います。
しかし、現実には組織内のマネージャーによってレベル差があります。対話のスキルに長けた人もいれば苦手な人もいる。信頼関係構築が得意な人もいれば不得手な人もいる。適切なタイミングで踏み込んだ質問ができる人もいれば、躊躇する人もいるでしょう。
だからこそ、サーベイという「科学的な物差し」で、そのレベル差をカバーすることができるのです。対話が不十分なマネージャーでも最低限チームの状態を把握できるよう、対話を支援し、対話のきっかけを与えるための「補助ツール」として活用することが望ましいと考えます。
ところが、この補助ツールが、いつの間にか主役にすり替わってしまうことがあります。
サーベイという便利なツールがあることで、「スコアを見ればチームの状態は分かるだろう」という思考停止に陥ってしまうのです。メンバーの表情や声色の変化に気を配り、勇気を出して踏み込んだ対話を試みる。そんな泥臭い一次情報収集の役割を放棄する口実を、サーベイが与えてしまうのかもしれません。
サーベイはあくまで「組織の健康診断」です。診断結果を突きつけるだけで、日々の診察(対話)を怠る医者を誰も信頼しないのと同じように、スコアに頼りきりのマネジメントは、チームの信頼関係を根底から崩壊させてしまう可能性があるのです。
決して忘れてはならないのは、適切な対話で一次情報を集めることがマネジメントの本質であり、サーベイはその補助に過ぎず、代替ではないということです。
その3.当事者意識の喪失|「評価者」「お客様」になる社員たち
そして最も警鐘を鳴らしたいのが、この第三の病です。
サーベイは、従業員の意識を「組織を創る当事者」から「会社を評価するお客様」へと変質させてしまう、非常に根深いリスクを抱えていると、私は考えています。
「評価者」モードへの転換
サーベイに繰り返し答えるうちに、従業員は無意識のうちに「この会社は、私にとって働きやすいか?」を採点する「評価者」の立場に身を置くようになります。
「自分たちがこの組織をより良くしていく」という当事者意識が薄れ、まるでレストランの評価サイトに書き込む評論家のように、組織を他人事として捉え始めてしまうのです。
“お客様”スタンスの醸成
「評価者」モードは、やがて「お客様」スタンスへと繋がっていきます。
「給料をもらっているのだから、働きやすい環境を提供するのは会社の責任」「不満を伝えれば、会社が何とかしてくれるはず」という受け身の姿勢です。
心理学における「自己決定理論」では、人間の内発的動機づけには「自律性(自分で決めたい)」が不可欠だとされています。しかし、このお客様スタンスは、組織課題の解決を会社や人事に丸投げし、自ら考え行動する「自律性」を完全に放棄する姿勢に他なりません。
「会社 vs 社員」という対立構造の深化
最終的に、組織には「環境を提供する会社」と「それを評価し、要求する社員」という、埋めがたい分断が生まれてしまうのです。
組織の課題を「自分たちで乗り越えるべき共通のテーマ」ではなく、「会社に改善を要求するテーマ」と捉えるようになり、本来同じ船に乗る仲間であるはずの両者の間に対立構造が生まれてしまいます。
この状態に陥った組織は、たとえサーベイのスコアが一時的に改善したとしても、根本的な一体感を失い、変化に対応できない弱い集団となってしまうのではないでしょうか。
第2章:本質的な問題|「施策」と「検証」の分断
では、なぜこれほど多くの企業がサーベイで失敗してしまうのでしょうか。その根本的な原因は、「施策」と「検証」が完全に分断されていることにある、と私は見ています。
従来のアプローチの限界
多くの企業では、以下のような分断が起きているように思います。
- サーベイで課題を発見 → 各社サーベイサービス
- 施策を実施 → 社内報、タウンホール、研修、MVVワークショップなど
- 再度サーベイで検証 → また別のタイミング、別のサーベイツール
この分断の何が問題なのでしょうか。
それは、「何をしたから、どのスコアが上がったのか分からない」ということです。
経営への信頼度が低いという結果を受けて、社長メッセージを発信し、タウンホールを実施したとします。しかし、次のサーベイでスコアが上がったとして、それは本当にその施策の効果なのでしょうか?それとも賞与が上がったからでしょうか?あるいは、たまたまだったのでしょうか。
「情報発信」と「意識変容」の間にある暗黒大陸
組織を変えるプロセスは、本来こうあるべきだと考えます。
情報発信(社内報・イベント)
↓
認知・理解(ちゃんと届いたか?読まれたか?)
↓
共感・意識変容(心が動いたか?)
↓
行動変容(実際に行動が変わったか?)
しかし従来のアプローチでは、「認知・理解」のプロセスがブラックボックスになってしまっています。
例えば、社内報を配信しても、誰が読んだのか分かりません。タウンホールMTGを開催しても、誰がどれだけ関心を持ったのか分かりません。
そして数ヶ月後、サーベイのスコアだけを見て「効果があった/なかった」と判断する。これでは再現性がなく、科学的な組織開発とは言えないのではないでしょうか。
第3章:処方箋|サーベイを「羅針盤」に変える
では、どうすればよいのでしょうか。ここで、3つの処方箋を提案したいと思います。
処方箋1.「施策」と「検証」を一気通貫で繋ぐ
最も重要なのは、情報発信から意識変容までのプロセスを、一気通貫で可視化することです。
具体的には、行動データとサーベイデータをクロス分析することが挙げられます。
- 社長メッセージをよく読んだ人と読まなかった人で、「経営への信頼度」のスコアにどれだけ差があるか?
- MVVのコンテンツに長時間滞在した人は、「理念への共感度」が高まったか?
- 部門横断プロジェクトの記事を読んだ人は、「他部門との協働意欲」が変化したか?
このクロス分析ができると、何が起こるでしょうか。
「どの施策が、どのスコアに影響したか」が可視化されるのです。
もはや「何となく良くなった気がする」ではなく、「この施策をこの層に届けたから、このスコアが改善した」という因果関係が見えてくる。これこそが、科学的な組織開発の第一歩だと考えます。
処方箋2.目的を再定義し、“当事者意識”を取り戻す
サーベイの目的を、根本から見直す必要があります。
多くの企業が無意識のうちに、サーベイを「従業員満足度を測り、会社が従業員のために何かをするためのツール」と捉えているように感じます。この思想自体が、「会社(与える側) vs 社員(受け取る側)」という構図を内包しているのです。
そうではなく、サーベイを「一つのチームとして、どこに向かうべきかを確認し、未来に向けた対話をするための共通言語」として再定義することが大切です。
経営トップが自らの言葉で、こう宣言してみてはいかがでしょうか。
「このサーベイは、社員を評価するためでも、会社を評価するためでもない。我々が『一つのチーム』として、ビジョン実現のためにどんな組織を創るべきか、その現在地を確認し、共に未来を創るための対話のキッカケだ」
従業員を「満足させる対象」ではなく、「共に組織を創るパートナー」として扱う。この意識の変化が、当事者意識を取り戻す第一歩になるはずです。
処方箋3.結果を「答え」ではなく「問い」として扱う
サーベイの結果共有会で、スコアの良し悪しを議論するのは一旦やめてみましょう。
代わりに、チームで結果を見ながら、以下のような問いを投げかけてみるのです。
- 「この結果を見て、私たちは何を感じ、何について話したいだろうか?」
- 「特に、私たちのチームの強みが見えるのはどの項目だろうか?」
- 「この結果から、私たちがもっと良くしていくために、明日からできる小さな一歩は何だろうか?」
MITのダニエル・キム教授が提唱した「組織の成功循環モデル」では、成功する組織は「関係の質」からサイクルを回し始めると言われています。
サーベイの失敗の多くは、いきなり「結果の質」(スコア)を改善しようとすることに起因するのかもしれません。そうではなく、サーベイを「関係の質を高めるための対話のキッカケ」として活用するのです。
サーベイを配信して終わりではありません。結果が出た後、各チームで「結果をもとにした対話のワークショップ」を必ずセットで実施するルールを設けることが望ましいでしょう。
そして人事や経営は、マネージャーがその場で効果的なファシリテーションができるよう、研修やガイドラインの提供といった支援を惜しまないこと。主役はあくまで現場の対話であり、サーベイと人事はその触媒に過ぎないのです。
おわりに:サーベイを「答え」から「問い」へ
サーベイは、使い方一つで組織を分断する「劇薬」にも、一体感を醸成する「羅針盤」にもなり得ます。それを分けるのは、サーベイを「答え」として扱うか、それとも「問い」として扱うかにかかっている、と私は考えます。
- データに振り回され、人間同士の対話から逃げるのではなく、データを活用して人間同士の対話をより豊かにしていく
- スコアを改善することではなく、組織のビジョン実現のために、今どこに立っているかを知る
- 社員を「満足させる対象」ではなく、共に組織を創るパートナーとして扱う
そして何より、「情報発信」から「意識変容」、「行動変容」に至るプロセスを一気通貫で可視化し、科学的なPDCAを回していくこと。
それこそが、社員の当事者意識を育み、真に強くしなやかな組織を創り上げる唯一の道なのではないでしょうか。
あなたの組織で実施しているサーベイは、社員を「お客様」にしていますか?それとも「当事者」にしていますか?
年間数百万円をかけて実施しているそのサーベイが、もし組織を壊しているとしたら―。
今こそ、サーベイの「目的」と「使い方」を見直す時なのかもしれません。